塾長の想い -BLOG-
塾長の想い その10
2019/07/11
なぜ敢えてまったく違う訳にするのか
韓国からいらした方からのお話によると、『釜山港に帰れ』は、韓国のものと日本のはまったく違うそうです。
韓国ドラマにしても、韓国語で実際に喋っていることと字幕は、あまりにも違いすぎて、気になるとのことでした。
ああ、それは英国やアメリカのドラマでもけっこうあるかも。
ただ、字数の関係とか、分かりやすさとか考えると仕方のないものはありますね。
“Sir!””を「警部!」と訳したり、“My wife says”を「いやあ、うちのかみさんがね」と訳すのは、名訳ですらあります。
『笑っていいとも』という番組で、タモリが「サングラス」とトム・クルーズに言ったときトムが「You recognized…(気がついたんだ)」と言ったのを、戸田奈津子が「目立ちたいんです」と訳したのは訳が分からなかったけど。
しかし、エンターテイメントの世界では、まあ、いいんです。
『Newsweek』で『Reluctant Princess(いやいや結婚するプリンセス)』となっていたタイトルを、日本版では『プリンセス誕生』と訳すのはなぜでしょう。
外の国ではこんな風に言われているという事実から、国民の目をそらすためじゃないですか。
島国日本に住む我々は、微妙に変えて翻訳されたものを読んで、ああ、こういうもんなんだ、と思ってはいけない。
『完訳』と書かれていても、ほんとうに完訳かどうかは微妙なこともあります。
オリジナルを取り寄せてじっくり比較するという癖をつける人が多くなると、
「すみません、こことここは敢えて変えました」という翻訳者の告白も多くなるかもしれません。
なぜ敢えて変えるか?
編集がうるさいんですよね。どこに忖度しているかは知りませんが。
出版不況は歓迎すべき事態です。
私たちはもう(改変された)紙の媒体を盲信することなく
生の声をネットで直接聞くことができるのです。